キノフィルムズ

存在のない子供たち
公開終了
2019年7月20日(土)公開

存在のない子供たち

2018年カンヌ国際映画祭を震わせ、コンペティション部門〈審査員賞〉〈エキュメニカル審査員賞〉を受賞。
本年度アカデミー賞〈外国語映画賞〉ノミネート。
全世界へと広がり続けている絶賛の波が、ついに日本へも押し寄せる!!

イントロダクション

イントロダクション画像

両親を告訴するという衝撃的なオープニングから観客の心を鷲づかみ、物語をひと息に過去へと遡らせ、なぜ彼が法廷に立つに至ったのか、その理由と経緯をつぶさに描き出し、世界を揺るがした。
ゼインが求めているもの、それはすべての子供たちにあるはずの〈愛される権利〉。その権利を手にするまでの長い旅路に胸を締めつけられながらも、希望の光が差すラストに、新たなる出発の無事と幸運を祈らずにはいられない慟哭の物語。

ストーリー

ストーリー画像

わずか12歳で裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。裁判長から「何の罪で?」と聞かれたゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に働かされている。唯一の支えだった大切な妹が11歳で強制結婚させられ、怒りと悲しみから家を飛び出したゼインを待っていたのは、さらに過酷な“現実”だった。果たしてゼインの未来とは―。

ゼイン・アル=ラフィーア

|ゼイン|
2004年10月10日シリアのダルアー、東マリハで生まれる。
シリア内戦の軍事的対立のため、2012年以来教育を受けることができず、その年、国内情勢の治安悪化により、家族でレバノンへ逃れた。シリア難民として、ベイルートでは、一般の教育になじめず、家庭教師から一貫性のない教育を受けることになる。貧しい生活をおくり、10歳の時からスーパーマーケットの配達をする仕事を含む多くの仕事で、家計を助けた。2018年8月、国連難民機関の助けを借りて、ノルウェーへの第三国定住が承認され、家族とともに移住している。

ヨルダノス・シフェラウ

|ラヒル・シファラ|
エリトリアの首都であるアスマラで生まれた(生まれた年は、80年代末から90年代初めの間)。彼女の母親が、徒歩での険しく長い旅路の果てに死んでしまった後、エチオピアのデブレゼイトにある難民キャンプで幼少を過ごす。彼女の父親は、彼女と短期間一緒に暮らした後、戦争の古傷で死んでしまった。その後、数年間の間、4人の姉妹から引き裂かれ、常に移動する日々であった。教育を受けることはなく、ホームレスの時は、路上で靴磨きや駐車メーター係などの仕事をし、まだ若い頃から大人にならざるを得なかった。20歳になった頃、彼女の姉妹がベイルートで住み込みのお手伝いをしていることを知る。彼女もお手伝いとして雇われるが、やがて雇い主の下から逃げ、その後も国内で違法に働き続けた。映画の物語と同様、本作品撮影中の2016年12月に不法移民として逮捕され、拘束されてしまうが、のちにナディーン・ラバキー監督が保証人となり、釈放された。

ボルワティフ・トレジャー・バンコレ

|ヨナス|
2015年11月21日マウントレバノン生まれ。
トレジャーの父親オルイェミ・ダミロラ・バンコーレ(ナイジェリアのイケジ・アラケジ出身)は、2014年にレバノンで、トレジャーの母親ローズマリー・カランジョ(ケニアのコマロック出身)と出会う。トレジャーは、2015年11月21日に山岳レバノン県のジャール・エル・ディブにあるアブー・ジャウド院で生まれる。両親は清掃業の契約でレバノンに入国したものの、父親はアンダーグラウンドのアフリカ音楽シーンでDJ業を始め、母親は主婦として娘の面倒を見ていた。家族は、度々直面する人種差別を逃れるために、家を転々とする生活を送っていた。2015年には、ベイルートのナバアに移住し、2016年に本作のキャスティング・ディレクターと出会う。2016年末の撮影真っただ中に、トレジャーの両親は逮捕されてしまう。ちょうどその頃、トレジャーの演じるヨナス(1歳)が母親を失うところを撮影していた。映画の撮影隊は立ち上がり、「彼らを釈放させ、安全に国を去るための時間を与えて欲しい」と公安機関に訴えた。家族は、2018年3月6日に国外退去させられた。トレジャーと母親はケニアに戻り、ナイジェリアに帰国した父親とは離れ離れになっている。もし状況が許すならば、いつか家族一緒に生活したいと願っている。

カウサル・アル=ハッダード

|スアード|
1972年にレバノンのトリポリ、ワディ・カレドで生まれる。両親と6人のきょうだいたちと共にクウェートに移住するが、1975年にその移住先で父親は亡くなってしまう。彼らは、クウェート侵攻が発生した(イラクによる侵攻)1990年に家族でベイルートに戻る。レバノンの第二級身分証明書を保持し、「第二級市民」として扱われている。もともとは、勉強をして医者になるのが夢であったが、結局は学校を中退して、母親の手伝いをしなければならなかった。1999年には、ヤッサー・イッサと結婚した。ヤッサーも同様、完全に国民としては認められていない身分であった。以来、2人の息子がまともな教育、健康保険、予防接種を受けられるように正式な国籍登録を行おうとしているが、なかなかうまくいかない。家政婦として働きながら、他の低賃金の仕事も掛け持ちして家計を支えてきた。2016年、ベイルートのワタ・エル・ムサイビで亡くなった兄弟の子供たちのお世話をしている時に、本作のキャスティング・ディレクターと出会う。

ファーディー・カーメル・ユーセフ

|セリーム|
1971年3月21日にレバノン・ベイルートで生まれる。
両親の離婚によりトラブルに見舞われ、10代の頃はあらゆる所で根無し草のような生活を送っていた。5年生の時に中退している。1994年バイク事故により、足を負傷し、病院の治療費の請求書を受け取った際、お金が足りずに自殺未遂を起こす。11歳の頃からあらゆる仕事をしており、12年間タクシードライバーを勤め、最近では彼の住む町でカフェのオーナーをしていた。2006年の戦争中に結婚、2014年に第一子が産まれた。2017年の夏の撮影後、自分の生活を変えようと思い厚生施設に参加する。
キャスティングのインタビュー中、“自分は、貧困層の大使であり、ビルの屋根や岩の上、路上などで寝る事もしばしあった”と自分の過去を思い出し語っていた。

シドラ・イザーム

|サハル|
2004年に、父親の故郷のシリアのアレッポで生まれる。
2012年にレバノンに移り、両親と4人の兄弟と共にベイルートで生活を始めた。2014年には、姉が海で溺死した。2016年に妹が産まれ、両親はその子に姉の名を付けた。シリアの学校に通っていたが、ベイルートで違う人生がある事を知った。2014年、不法滞在の父親に家族の援助を頼まれ、ベイルートの道端でチューイングガムを売っていた。そして2016年にキャスティング・ディレクターの目に留まった。

アラーア・シュシュニーヤ

|アスプロ|
1979年9月17日にアラブ首長国連邦のアブダビで生まれる。1990年イエメン戦争中にベイルートに移るまで、イエメンで育った。彼はパレスチナとレバノンの二つの国籍を持っている。レバノンでは、経済的理由により、両親に退学させられる4年生迄は、国際連合パレスチナ難民救済事業機関の学校で授業を受けていた。その後は、指揮官によって裏切られて逮捕、5年間服役するまで彼自身が働いていた身辺警備(個人保護)の政党に関与していた。
“私は、木に葉っぱがあるより、逮捕状を持っている”と、2016年にキャスティング・ディレクターが会った時に、そう話していた。2018年に、ベイルートのJalloulに食べ物と飲み物を売るキオスクをオープンした。

スタッフ

  • 監督・脚本・出演:ナディーン・ラバキー

    1974年2月18日レバノン、ベイルートで生まれ、内戦の真っただ中に育つ。
    1997年にベイルートにあるベイルート・サンジョセフ大学にてオーディオ・ビジュアル学で学位を取得。卒業後は早速、テレビのコマーシャルや地域で有名なアーティストのミュージック・ビデオ等を監督し始め、いくつかの賞を受賞。
    2005年にはカンヌ国際映画祭の主催する「レジダンス」制度に参加し、ベイルートを舞台にした初めての長編映画『キャラメル』の脚本を執筆した。彼女自身がメガホンを取り、主演も果たした。2007年のカンヌ国際映画祭での監督週間にて初上映され、ユース審査員賞を受賞。さらに、サンセバスチャン映画祭では、観客賞を受賞した。『キャラメル』は、60か国以上の国で上映された。2008年には、フランスの文化・通信省より、芸術文化勲章を授与される。ナディーンの長編映画第二段『Where Do We Go Now?(英題)』でも、脚本/監督/出演をこなした。この作品はカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門にて上映され、エキュメニカル審査員スペシャル・メンションを受賞。さらに、2012年のサンダンス映画祭に上映される前に、トロント国際映画祭では観客賞を、サンセバスチャン映画祭でも観客賞を受賞。ロサンゼルス映画批評家協会賞の最優秀外国作品賞にノミネートされ、レバノンでの興行成績がアラブ映画として歴代一位。2014年には、『リオ、アイラブユー』を監督。都市をテーマにしたオムニバス映画シリーズの一環である。彼女が監督し、脚本は共同執筆した。自身も出演し、ハーヴェイ・カイテルと共演している。
    役者としては、フランスのフレッド・カヴァイエ監督の『友よ、さらばと言おう』(2014)、グザヴィエ・ボーヴォワ監督の『チャップリンからの贈り物』(2014)、また、レバノン出身の監督ジョージ・ハシェムの『Stray Bullet(原題)』(2007)、モロッコ出身の監督レイラ・マラクシの『Rock the Casbah(原題)』(2013)など。本作ではゼインの弁護士役として出演している。

  • プロデューサー・音楽:ハーレド・ムザンナル

    1974年9月27日生まれ。レバノン音楽の作曲家、歌手、プロデューサー。
    幾つかの映画音楽を作曲、2008年には、歌手兼作曲家として初のソロアルバム「Les Champs Arides」を発売。クラシック、ジャズ、地中海、東洋音楽等にあらゆるジャンルに精通し、ブラジルのショーロ、アルゼンチンタンゴ等に影響を受けている。
    映画音楽の最初のプロとしての作品は、2005年に撮影された『After Shave』。2006年のセザール賞で最優秀短編賞を受賞する。2007年にNaïve Recordsというフランスの独立レコード会社とのソロアルバムを契約、その後、ナディーン・ラバキー監督の『キャラメル』の音楽を担当。2008年のカンヌ映画祭でサントラの最高賞UCMFアワードを受賞。2010年、ナディーン・ラバキー監督作『Where Do We Go Now』の音楽を担当し、2011年のストックホルム国際映画祭で最優秀音楽賞を受賞している。
    ※『キャラメル』の後、ラバキー監督と結婚している。

配信

2020年5月8日(金)より各種プラットフォームにて配信開始

存在のない子供たち

2018年/レバノン・フランス/原題:CAPHARNAÜM/アラビア語/シネマスコープ/5.1ch/125分/PG12
配給:キノフィルムズ・木下グループ
©2018MoozFilms
※配信開始日・終了日は各プラットフォームにより異なる場合がございます。Blu-ray・DVDはメーカーウェブサイト、各小売店等にてお買い求めください。