キノフィルムズ

公開終了
2019年4月5日(金)公開

マックイーン:モードの反逆児

恋をするように服を作り、命まで捧げた、ドラマより劇的な人生

イントロダクション

イントロダクション画像

〈ファッション界の反逆児〉と呼ばれながらも、
デヴィッド・ボウイやビョーク、レディー・ガガから
キャサリン妃にまで愛されたアレキサンダー・マックイーン

ロンドンの労働者階級出身の青年は、
いかにして無一文からトップデザイナーへと駆け上がったのか?

ロンドンの労働者階級出身で、日々の食費にも困っていた青年が、23歳で失業保険を資金にデザイナーとしてデビュー。次々と開いたセンセーショナルなショーは、大絶賛とバッシングの真っ二つに分かれ、彼の名前〈アレキサンダー・マックイーン〉は、たちまち世に広まった。そして1996年、弱冠27歳でパリのグランメゾン〈ジバンシィ〉のデザイナーに抜擢されて世界を驚かせ、34歳で大英帝国勲章を授与されるまで上りつめる。ところが、富と名声の絶頂期にいた40歳で突然、自ら命を絶ってしまう。いったい彼はどんな人物で、いかにして現代のおとぎ話のような成功を果たし、なぜ燃え尽きてしまったのか──? 

ストーリー

ストーリー画像

テープ1 獲物を狙う 切り裂きジャック
──心の奥深い闇から恐ろしいものを引き出し、ランウェイに乗せるんだ


母親のジョイスが、リー・アレキサンダー・マックイーンの原点を明かす。学校へも行かず仕事もなかった16歳の時、仕立て職人が人手不足だと聞いて老舗テーラーで働き始め、服作りの才能に目覚めたのだ。やがてマックイーンは単身イタリアに乗り込み、ロメオ・ジリのアシスタントを務めるのだが、ジリが生意気だったマックイーンのエピソードを披露する。
帰国後、名門セント・マーチンズ美術大学に入学、卒業コレクションで人生が変わる。「ヴォーグ」の編集者で20世紀ファッション史の重要人物だったイザベラ・ブロウが、「モダンでクラシカル、美とバイオレンス。今まで見た中で一番美しい」とマックイーンの作品に惚れ込み、夫のデトマー曰く「彼をトップにすると決意」したのだった。

テープ2 ハイランド・レイプ
──現実に耳をふさぎ、世界は楽しいと思う人に現実を伝えたい

 
マックイーンがどうやってデビューしたかを明かすのは、エージェントのアリス・スミスだ。当時のスタッフはノーギャラで働いていたのだが、ヘアメイクのミラ・チャイ・ハイドは「彼の魅力ゆえよ」と微笑む。さらに、まだ太っていた若い頃のマックイーンの映像が流れ、「生地もすべて失業手当で買った」と無邪気に笑う。
マックイーンのデビュー・ショーの映像が流れ、「退席する人もいた」とアリスが打ち明けるが、もっと騒ぎになったショーが「ハイランド・レイプ」だ。バッシングもされたが、翌日の各紙がトップで扱い、マックイーンは時の人となる。普段は朗らかな彼のどこにそんな闇があったのか? 甥のゲーリーが、一族のある秘密を打ち明ける。

テープ3 そこはジャングルだ
──僕はやるべきことをやる。名声のためじゃない


ジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに抜擢されたマックイーンは、礼儀正しいパリの工房に、ロンドンの反骨精神を持ちこんだ。デザイナー助手のセバスチャン・ポンスが、エキサイティングだった日々を振り返る。だが、初めてのショーは酷評され、当時の恋人だったマレー・アーサーは、その夜の荒れたマックイーンについて苦々しく語る。また、アーサーとデトマーの口から、マックイーンの裏切りが明かされる。「イザベラに見出された」と言われることに嫌気がさした彼が、彼女をジバンシィとの契約から外したのだ。

テープ4 ヴォス
──僕の私生活と仕事はすごく密着してる。ショーがあるから感情を表現できる

 
自分のブランドとジバンシィを行き来したこの頃が、マックイーンにとって最悪な時期だった。年10回以上のコレクションのプレッシャーに潰されかけ、ドラッグに手を出してしまったのだ。クリエイションは壮絶なまでに磨き上げられたが、人間関係は破綻する。そんな中で生まれたショーが、ウィトキンのグロテスクな写真の再現でフィナーレを飾る「ヴォス」だ。
さらに高い名声を獲得したマックイーンは、ディレクターのトム・フォードから誘われてグッチと契約、ジバンシィを去る。ロンドンに戻り、家族との絆を確かめたマックイーンは、「うまくいかず不安な時期があった。でも抜け出せた。これが僕の人生だ。天職なんだ」と呟く。

テープ5 プラトンのアトランティス島

だが、心の平安は束の間だった。マックイーンには、さらなる過酷な宿命が待ち受けていた──。

リー・アレキサンダー・マックイーン

|ブランド創業デザイナー|
1990年代から2010年まで活躍した、イギリスのファッションデザイナー。1992年に自身の名を冠したブランドを立ち上げ、1993年にロンドン・コレクションでデビュー。1996年にジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに就任、ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。1997年、2001年、2003年にも同賞に輝く。トム・フォードに誘われ、2000年にグッチ・グループの傘下に入り、LVMHグループ傘下のジバンシィを離れる。舞台や映画を思わせるドラマティックなコレクションでは、攻撃的かつ刺激的なデザインを特徴とするが、一流デザイナーの中でも基本的なテーラリングの技術が非常に高いことで知られている。また、エッジのきいたセンスとエレガントなラインが絶妙なバランスで融合し、オンリーワンを求めるアーティストやミュージシャンから愛されていた。だが、第一線で活躍し続けるプレッシャーから、ドラッグに溺れるようになり、鬱病にも悩まされる。デビュー前後を支えてくれたイザベラ・ブロウの自殺に苦しみ、さらに最愛の母の死から立ち直れず、2010年に40歳で自殺する。母親の葬儀の前日だった。

トム・フォード

|元グッチ・グループ ディレクター|
1962年生まれ。1990年、グッチのレディス部門のデザインを担当し、1994年にはクリエイティブ・ディレクターに就任、経営不振に悩んでいたグッチを立て直す。2000年にはグッチに買収されたイヴ・サンローランも兼任。2004年にグッチを去り、翌年には自身のブランドを設立する。

フィリップ・トレーシー

|帽子デザイナー|
1967年生まれ。1989年、当時「タトラー」のスタイリストだったイザベラ・ブロウに見出される。1991年、カール・ラガーフェルドに依頼され、シャネルのために帽子をデザイン、その後長い関係が続く。アレキサンダー・マックイーン、ジバンシィのショーなど多くのオート・クチュールと協働し、レディー・ガガ、マドンナ、サラ・ジェシカ・パーカーや、英国ロイヤルファミリーを顧客にもつ。2007年に大英帝国勲章(OBE)を授与されている。

イザベラ・ブロウ

|支援者(元「ヴォーグ」エディター)|
1958年イギリス生まれ。1979年にアメリカへ渡り、1981年に「ヴォーグ」のファッション・ディレクターだったアナ・ウィンターと出会い、アシスタントに雇われる。撮影を通して、アンディ・ウォーホルやバスキアとも友人となる。1986年にイギリスに戻り、「タトラー」のエディターを経て、1993年からUK版「ヴォーグ」に在籍、多くのファッションデザイナーを発掘したことで知られる。2007年、ガンの闘病中に自ら命を絶つ。

ショーン・リーン

|ジュエリーデザイナー|
1969年生まれ。1992年、当時セント・マーチンズ美大の学生だったマックイーンを紹介され、翌年、彼のコレクションのために作った彫刻的なジュエリーで注目される。ジバンシィのショーや、マックイーンが衣装を手がけたビョークのアルバムジャケットに参加。2004年に自身のブランドとして「ショーン・リーン」を立ち上げた。

サラ・バートン

|現クリエイティブ・ディレクター|
1974年生まれ。セント・マーチンズ美大在学中に、アレキサンダー・マックイーンのインターンとなり、1997年に卒業してからはフルタイムで働き、2000年、ウィメンズ・ウェアのヘッドデザイナーとなる。2010年からマックイーンの後を継いでクリエイティブ・ディレクターに就任。

スタッフ

  • 監督・脚本:ピーター・エテッドギー

    映画監督ジャン・ヴィゴの生涯を映画化した『ヴィゴ』(98)、報われぬ恋を描いたプーシキンの名作を映画化した『オネーギンの恋文』(99)の脚本を手掛ける。製作を務めた『キンキーブーツ』(05)は、のちにブロードウェイとウェストエンドで上演される人気ミュージカルにもなった。マーロン・ブランドの記録音声を通して彼の生涯を追った『マーロン・ブランドの肉声』(15・未)では脚本を担当し、国際ドキュメンタリー協会の脚本賞に輝く。本作で、英国アカデミー賞英国作品賞とドキュメンタリー賞にノミネートされる。

  • 監督・製作:イアン・ボノート

    多くの賞に輝く映画監督及びプロデューサー。これまで、CMやミュージックビデオ、ファッション映画に携わる他、プロデューサー仲間のトーマス・ベンスキー、マリサ・クリフォードと共に製作会社パルス・フィルムズを立ち上げる。監督と製作総指揮を務めた長編映画デビュー作『エッジ・オブ・スピード』(16・未)を完成させた後、プロデューサーのアンディー・ライダーと共に、製作会社ミスフィッツ・エンターテインメントを設立する。本作で、英国アカデミー賞英国作品賞とドキュメンタリー賞にノミネートされる。

  • 音楽:マイケル・ナイマン

    英国で最も革新的で有名な作曲家の一人で、オペラ、弦楽四重奏、映画音楽、管弦楽など多岐にわたる曲を作ってきた。また、指揮者、ピアニスト、作家、音楽学者、写真家、映画プロデューサーとしても活躍している。
    サウンドトラックが300万枚以上売れたジェーン・カンピオン監督の『ピアノ・レッスン』(93)、アンドリュー・ニコル監督の『ガタカ』(97)、『ことの終わり』(00)でゴールデン・グローブ賞にノミネートされる。その他、『英国式庭園殺人事件』(82)や『コックと泥棒、その妻と愛人』など数多くのピーター・グリーナウェイ監督作品、ニール・ジョーダン監督作品、マイケル・ウィンターボトム監督作品などで知られる。
    1968年には、“ミニマルミュージック”という言葉を作り出し、その後10年にわたって、現代音楽の一部流派に影響を与え続けた。1976年に結成したマイケル・ナイマン・バンドは、40年以上にわたって、独創的かつ試験的な作品の実験室的役割を果たしている。

配信

2019年9月3日(火)より各種プラットフォームにて配信開始

マックイーン:モードの反逆児

2018年/イギリス/原題:McQueen/ヴィスタサイズ/111分/G
配給:キノフィルムズ・木下グループ
© 2018 A SALON GALAHAD PRODUCTION. ALL RIGHTS RESERVED.
※配信開始日・終了日は各プラットフォームにより異なる場合がございます。Blu-ray・DVDはメーカーウェブサイト、各小売店等にてお買い求めください。