2020年4月15日(水)配信
2020年4月15日(水)発売
43年前の夏、イスラエル人が多数乗るエールフランス139便がハイジャックされ、ウガンダのエンテベ空港へ向かった。そして7日後、イスラエル特殊部隊が<サンダーボルト作戦>を遂行。数名の犠牲者を出したものの、102名の人質が帰還を果たし、稀にみる成功を収めた。衝撃的な事件の幕開けから劇的な幕切れまでが世界を驚愕させ、『エンテベの勝利』(76)、『特攻サンダーボルト作戦』(76)、『サンダーボルト救出作戦』(77)とハリウッドなどが競って映画化した奇跡の救出劇がいま、新たな視点でスクリーンに甦る。
1976年6月27日。テルアビブからパリへ向かうエールフランス機が、4人のハイジャック犯に乗っ取られた。240名近い乗客を恐怖に陥れたハイジャック犯のうち2名は、パレスチナ解放人民戦線のパレスチナ人メンバー。残り2名は、革命を志すドイツ左翼急進派メンバー、ヴィルフリード・ボーゼとブリギッテ・クールマンだった。ハイジャック機は、悪名高き独裁者イディ・アミン大統領が待つ、ウガンダのエンテベ空港に着陸。乗客たちは空港の旧ターミナルに移され、武装犯の監視下に置かれる。犯人たちの要求は500万ドルと、世界各地に収監されている50人以上の親パレスチナ過激派の解放だ。
多数の自国民を人質にとられたイスラエルの首相イツハク・ラビンは、交渉の道を探りつつも、態度を保留し続けた。ハイジャック犯と交渉すべきではないと、国防大臣シモン・ペレスが強く進言したためだ。ペレスは秘密裏に軍事的解決をおこなうよう提案し、ウガンダに駐在した経験のある士官らと策を練っていく。
イスラエル人を除く人質の解放が段階的に進むなか、人質家族らの圧力や大量殺戮の脅威を抱えたラビン首相は、交渉のテーブルに着くと見せかけ、型破りな救出作戦を許可。そのエンテベ空港奇襲作戦(別名:サンダーボルト作戦)は、一瞬のタイミング、不意打ち、隣国からの協力を必要とする、大胆不敵な計画だった。演習を重ねた末ついに、前例のない作戦を遂行するイスラエルのエリート特殊部隊が、エンテベ空港へ送り込まれる……。
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